北 国 紀 行 に 見 る 峠

−「坂」「越」が混在、「峠」は一つ−


 「ほっこくきこう」と読みます。様々な書に資料として多く使われていますので、ご存じの方も多いと思います。作者が尭恵であることは初めて知りました。室町時代中頃、戦国時代に入ったばかりの頃です。
 この紀行文は山間部も多く通っていますが、もっぱら坂や越が使われ、「峠」は三国峠の部分だけ使われていました。


作 者 : 尭 恵

 永享2年(1430年)誕生。尭孝に師事した二条派の歌人。後柏原天皇、後土御門天皇に和歌講釈。家集「下葉和歌集」を著す。没年不詳。

成 立 : 文明19年(1487年)

内 容

 美濃に滞在していた尭恵が、相模の芦名の東常和への古今伝授のために美濃から飛騨、越中、越後、上野を経て相模の鎌倉から三浦半島の芦名に赴き、約4ヶ月逗留。再び同じ道を通り、三国峠を越えて越後に入ったところで終わっている。約2年間。

 かくて重れる山連なる道を過ぎ行程、曠絶無人ともいふべし。越後・信濃・上野の境、三国の峠といへるを越けるに、諏訪の伏拝みあり。
諏訪の海に幣と散らさば三国山よその紅葉も神や惜しまむ

 三国の峠とは、いわずとしれた新潟県湯沢村と群馬県新治村を結ぶ三国峠のこと。三国街道は昔から越後と上野を結ぶ重要幹線であった。


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