藤 河 の 記 に 見 る 峠

−「坂」が多数、「峠」は一つだけ−


 一条兼良は新続古今和歌集の序を著した人ですので有名ですが、「藤河の記」はよほど詳しい文学史年表にしか載っていないので知らない人も多いと思います。室町時代中頃というか、戦国時代への過渡期の頃です。
 この書には「坂」と書かれている部分が圧倒的に多いのですが、此処で「峠」を一つだけ見付けました。


作 者 : 一条 兼良

 応永9年(1402年)誕生。応仁元年に関白。後に出家して後成恩寺殿、覚恵と称する。和漢に通じる当代の学者で、「新続古今和歌集」真名序・仮名序を著している。

成 立 : 文明5年(1473年)

内 容

 応仁元年に始まった応仁の乱を避け、10年間を奈良で過ごしていた。その間、斉藤妙椿と親交を深め、美濃在国の家族に会うための、約1ヶ月間の美濃への紀行がこの書である。

 磨針峠を南に下るとて、右にかへりみれば、筑夫嶋など幽かに見えて、遠望眼をこらす。麓には神田といふ所の一つなぎ田など見ゆ。又左の方には聳えたる岩に松一木ある、その下に石塔あり。西行法師が塚と言ひ伝へたるとなむ。(中略)
旅衣ほころびぬれや磨針の峠に来ても縫ふ人のなき

 磨針峠(すりはりとうげ)は、現在の彦根市中山町にあり、琵琶湖の眺望に優れている。中仙道の難所で、鳥居本宿と番場宿の間にあった。


目次に戻る