東 路 記 に 見 る 峠

−「嶺」と書いて「たうげ」と読ませている−


 「あづま路の記」とも書きます。江戸時代の紀行文ならば「峠」の文字が多数使われているだろうと思っていたのですが、皆無でした。ただし「たうげ」の文字は「嶺」の振り仮名として使われていました。
 江戸時代でも「峠」の文字は一般的に使われていなかったのでしょうか?


作 者 : 貝原 益軒

 寛永7年(1630年)誕生。「女大学」「養生訓」などを著した筑前黒田藩の朱子学者。藩務としての江戸や京への出張を「東路記」「已已紀行」として著し、近世紀行文の基礎を築いた。正徳四年(1714年)没。

成 立 : 貞享2年(1685年)


磨針嶺(すりはりたうげ)

出典:美濃路 熱田より京迄の事を記
現・磨針峠 滋賀県彦根市
 磨針嶺は、番場と鳥居本の宿の間にあり。湖水、眼下に見えて好景なり。竹生嶋は是よりいぬいの方に見ゆる。

日の岡嶺(ひのおかたうげ)

出典:美濃路 熱田より京迄の事を記
京都府京都市
 日の岡嶺に坂有。日の岡と云里あり。其さきに義経のけあげの水あり。

碓日嶺(うすひたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・碓氷峠(入山峠) 群馬県松井田町−長野県軽井沢町
 坂本より軽井沢へ二里三十町。坂本の人家百二三十軒許。是より坂を越て碓日嶺へ上る。左に入合の滝あり。名所にはあらず。(中略)碓日坂より東をかへり見れば、武蔵、下総、常陸、上野などの山東の諸国見ゆ。筑波山、尤よく見ゆる。

和田嶺(わだたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・和田峠 長野県和田村−下諏訪町
 追分より小田井へ行には、高きよりひきき処に下る。およそ、軽井沢より和田嶺の東までの間の水の流は、皆ちくま川へ落合て越後に流る。

かりとり嶺(かりとりたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・笠取峠、又は狩鳥峠 長野県立科町−長門町
 望月と芦田の間、石原坂と云坂あり。また、かりとり嶺とも云。

塩尻嶺(しおじりたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・塩尻峠 長野県塩尻市−岡谷市
 下の諏訪と塩尻の間に、塩尻嶺あり。坂あり。坂の上に社有。左に鳥居有。此間にも糸桜、所々にあり。(中略)此坂より富士山見ゆる。又、上のすは、高嶋の城見ゆる。

鳥居嶺(とりいたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・鳥居峠 長野県木祖村−楢川村
 鳥居嶺は是より十町ほど先にあり。「木曾殿硯水」と云水あり。鳥居嶺は碓日嶺より、坂けはし。馬にのりがたき。あやふき所あり。昔、木曾の御岳の鳥居、ここにありし故名づくと云。今は鳥井なし。

大門嶺(だいもんたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・大門峠 長野県長門町−茅野市
又、是より伊奈へ行。大門嶺を通り、飯盛山の下を過て窪田へ出る。

妻籠嶺(つまごたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・妻籠峠 長野県南木曾町
 妻籠より木曾川、西北の方に遠く流れ、道は東南の方に行て、妻籠嶺を越るゆへ、木曾川を右に遠く見る。

馬籠たうげ(まごめたうげ)

出典:江戸より美濃迄東山道の記
現・馬籠峠 長野県南木曾町−山口村
 妻籠嶺をこえ、馬籠に下れば、木曾の山中に出る。此間の坂、木曾の御坂なり。俗に、馬籠たうげと云。

 この作品の中でフリガナでなく、本文中に出てくる「たうげ」はここだけ。「峠」の文字は使われず、平仮名で記されている。

木の目嶺(きのめたうげ)

出典:美濃関が原より越前敦賀へ行道
現・木ノ芽峠 福井県今庄町−敦賀市
 敦賀より越前福井へ十六里。北の庄なり。木の目嶺を通り行ク。木目嶺は高き山上なり。敦賀より東の方、三里あり。嶺は近く見ゆる。


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