十 三 峠

神奈川県横須賀市長浦町−山中町
2001.4.29

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 国道16号線を南下。田浦三丁目の交差点を右折して、商店街の峠路を進み、十三峠を目指す。デポ地を探すのに散々苦労して時間をとってしまったが、引っ越し後の初めてのパスハン、さすがに気合いが入る。
 商店街を抜け、細い道をくねくね走って長善寺の角を左折。鎌倉の道を思い出させるような、狭いが雰囲気のいい太田坂を上る。写真を撮っていると民家のおばさんが話しかけてきた。「十三峠はこの上だけど、自転車じゃあきついよ、無理じゃない。」「いえいえ、これが趣味ですから....。」と、顔で笑いながら急坂をヒーヒーいいながら上っていく。
 と、勾配はさらにきつくなり、ついに階段となった。妙にほっとしながらも自転車を肩に担いで登っていく。国道16号線が開通するまでは、東京と浦賀を結ぶ道はこれしかなかった。当時の人達も大変だったろうな。
 坂の途中にあった道六神。幕末の多くのドラマをずっと見続けてきたのだろうな。そっと手を合わせる。石塔の下に管が延びていて、昔は水場として機能してきたようだが、残念ながら水はすっかり涸れていた。
 エイヤ、と階段を上りきるといきなり視界が開け、住宅地になった。ここは地元の人達が「ハンガヒロ」と呼ぶ長浦の台地。緩やかな尾根路が続いている。ここからは長浦港がよく見えた。
 階段と尾根道の分岐にあった案内標識。「浦賀道(十三峠)」と書かれてある。この案内板によると、「この尾根道を十三峠ともいう」とある。つまり我々の知っている山稜の鞍部を越す峠とはどうも違うようだ。
 緩い勾配の尾根道をのんびりと進んでいくと、程なくピークに到着。地図上で「十三峠」と書かれている地点だ。写真からもわかるように、山稜の鞍部ではない。地形の難しい海岸沿いを避け、山沿いに付けられた道の「難所」ということで「峠」と呼んだのだろう。ピーク付近も民家が密集している。犬を散歩させている人達と挨拶を交わしながら塚山公園に下っていく。
 ピーク付近から見た横須賀本港。大型の艦船が幾つか見えたが、あれは海上自衛隊のものだろうか、それとも米軍のものだろうか。
 この峠路は浦賀道とも呼ばれ、昭和初期まで浦賀と東京(江戸)を結ぶ唯一の陸路だった。享保5年に江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀に奉行所が移されてからは、人馬の往来が絶えることはなかったという。この峠路はまるごと歴史の生き証人なんだ。
 峠路を下っていくと、そのまま塚山公園に入っていく。この公園は、三浦按針の墓を作るためにわざわざ整備したものなのだそうだ。右が按針で、左が奥さんの墓。しばらく辺りを見学した後、京急の按針塚駅目がけて急勾配の路を下っていった。

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