終 章・・・・谷 地 峠

(飯豊町〜福島県熱塩加納村)

 ついに転勤が決まった。5年半いた山形を離れて東京に行くことになった。2年半続いた山形の峠巡りも、これで終わりということになる。

 最後に行く峠は谷地峠と半年くらい前から決めていた。この「出羽を巡る峠たち」は、もともと山形県の県境の峠を、できるところまで走ろう、という気持ちで始めたものであった。だから「巡る」なのである。最初のうちは、県内の全ての峠を走るなどといった、大それた事なんか考えてもいなかった。

 1年目には22の峠を走ったが、県境の峠はそのうち19であった。2年目には大小合わせて40の峠を走ったが、県境の峠は2つだけだった。そして3年目に入り、朝日スーパー林道を走破した後、結果的にこの谷地峠が、最後の県境の峠として残ったのである。 思えば「県境の峠」は、私の自転車人生の節目に必ず登場している。

 初めて越えた峠は、高校2年の時の神奈川−静岡県境の箱根峠であった。高校時代の最後の峠は群馬−新潟県境の三国峠である。大学に入り、ワーゲンレンカー部の部員として最初に越えた峠は、新勧ランの時の東京−神奈川県境の和田峠だった。それ以前は(今でもそうだが)私は脚力が弱く、何度も足をついてしまい、先輩にえらいけんまくでどなられてしまった。文字通り、「上らせられた峠」であった。大変な部に入ってしまったな、と思ったが、峠に着いたときのすがすがしさは今でも忘れない。そしてゼミの活動が忙しく、全くトレーニングせずに参加した九州合宿での最後の峠は宮崎−熊本県境の椎矢峠であった。あの時は2年生でありながら毎日死んでいたし、精神的な圧迫感が大きかった。この部には僅かな「甘え」も許されないという事を再認識した峠だった。また、学生時代の最後の峠は、群馬−長野県境の星尾峠であった。

 山形に来て、最初に越えた峠も宮城県境の関山峠だったし、独身時代最後の峠も、全く偶然なことに宮城県境の舟引峠であった。

 なぜ県境の峠なのか? それは、良く言えば全く新しい世界への挑戦、ロマン、悪く言えば辛い現実からの逃避の願いがあったのかも知れない。

 ともあれこれだけ偶然が続くと、最後の峠も県境の峠を走りたい、いや、「出羽を巡る峠たち」を締めくくる為には県境の峠を走らなくてはいけない、と思い込むようになり、この谷地峠のコースをずっと温存しておいたのである。

 二日酔いでどうもしゃきっ、としない頭をコーヒーと煙草で叩き起し、車を飯豊に向けて走らせる。そういえば金曜日に営業課が開いてくれた送別会の飲み屋の名前が「飯豊」だったな、と、どうでもいいことを思い出して一人ほくそ笑む。

 岳谷の集落のはずれにある民宿の駐車場に車をデポする。これで最後だ、と気合いを入れて出発する。

 路は最初、出来たばかりといった感じのきれいな舗装路で、白川に沿って緩い勾配で上っている。連日の豪雨で川の水量が多く、音も凄い。つい学生時代を思い出してアウターで頑張ってみたが、すぐあごが出てしまう。結局インナーに落とし、よたよた上る。対岸の緑は深く、山深い渓谷を走っている感じがしていいのだが、こちら側の法面はコンクリートで固められ、見るからに痛々しい。

 デポ地から30分ほどで舗装路の終点に着く。ここからは道幅もぐっと狭くなり、白川の支流の葡萄沢に沿って上っていく。勾配はさほどきつくはないのだが、路面は最悪。廃道の栗子峠を思い出す。バラスの量が尋常ではないのだ。どうせ舗装にするから、という事で、手入れもほとんどなされていないようである。

 後輪が空回りを繰り返し、何度も足をつく。「無駄な抵抗」とばかり押すことにする。ゆっくりと押して歩くと、周りの音が良く聞こえる。まだ8月だというのに秋の虫の声ばかりだ。蝉の声は全く聞こえない。

 小さな橋を連続して2つ渡ると、路は沢筋を離れ、山を巻くようになる。勾配は幾分きつくなるが、路面の状態は良くなるので乗って上ることにする。周りの木々が意外に低いので日光をまともに浴びるが、景色は素晴らしい。遥か遠くに見える山塊は朝日連峰だろうか。

 しばらく走ると「飯豊連峰 五枚沢登山口」と書かれた看板が見えてくる。ここから路はほぼフラットになり、小さな切り通しの小ピークを越えて、谷地平へと一旦下る。この谷地平は湿地帯になっており、地図から見て、群馬の玉原湿原のような所であろうと想像していたのだが、単に背の高い草がぼうぼうに生えているだけの草原であった。ちょっとがっかりした。

 小ピークから下り切ったところは、広河原から上ってきた滝沢林道と合流する三叉路になっていて、その路を右に折れる。あって無いような勾配の道をゆっくり、ゆっくりと上っていくと、いきなり目の前に空がバーン!と広がる。そこが峠であった。「最後」の気負いがあったのだろうか。意外な程あっけなかった。

 自転車を静かに倒して福島側に歩み寄る。「山形でない」空の下に、「山形でない」喜多方の街が白く霞んで見えた。西側に、喜多方に続く路が下っている。ここを下ればもう完全に山形ではなくなってしまう。足が動かなかった。何となく先に進むのが怖かった。別にセンチになるような柄でもないのに・・・・。

 自転車のところに引き返して、ファイヤーガードーでコーヒーを沸かす。いつもは聞こえないはずのメタの燃焼音が、はっきりと聞こえた。全く車の通らない路の真中に腰を下ろして、コーヒーを飲む。そして時々思い出したように煙草を吸う。こうしていると、今まで上った峠が次々と頭の中をよぎって行く。

 やる気と不安が入り交じっていた関山峠。ボトルを忘れて喉がひりひりになった二口峠。花立峠から禿高原への爽快なダウンヒル。栗子随道を見たときの感激。甑峠ではあんまり疲れて、パンツ一枚になって路の真中で寝た。雨で散々な目にあった田代峠。鳩峰峠からの素晴らしい景色。寂しかった大峠。十部一峠から見た、全く汚れのない月山。舟引峠で感じた風。樽口峠での奥さまの笑顔。黒沢峠の石畳。バテてどうしようもなかった萱野峠。静かで雰囲気が最高に良かった六十里越の細越。十王峠から見た海。結局行けずに悔しい思いをした蛇骨峠。色々と考えさせられた愛染峠。そして長大な朝日スーパー林道・・・・。とてもここでは書き尽くせない。

 次に山形に来れるのは10年先、いや、20年先のことだろうか。その時、この峠たちはどんな顔で私を迎えてくれるのだろうか・・。どんな顔でもいいよ。元気なら。

 結局喜多方には下らず、来た路を引き返すことにした。喜多方でラーメンでも食べて輪行して帰ろうか、等といった考えは完全に吹っ飛んでいた。最後に、間近に聳える飯豊連峰の雄姿を目に焼き付け、峠に別れを告げ、自転車に跨った。

 そして峠に背を向けた瞬間、背中がカーッと熱くなった。いやだよ、こんなの。30近いのにみっともないよ・・・・。

      峠

      峠は決定をしいるところだ
      峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
      峠路をのぼりつめたものは
      のしかかってくる天碧に身をさらし
      やがてそれを背にする。
      風景はそこで綴じあっているが
      ひとつをうしなうことなしに
      別個の風景にはいってゆけない。
      大きな喪失にたえてのみ
      あたらしい世界がひらける。
      峠にたつとき
      すぎ来しみちはなつかしく
      ひらけくるみちはたのしい。
      みちはこたえない
      みちはかぎりなくさそうばかりだ。
      峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
      たとえ行手がきまっていても
      ひとはそこで
      ひとつの世界にわかれねばならぬ。
      そのおもいをうずめるため
      たびびとはゆっくり小便をしたり
      摘みくさをしたり
      たばこをくゆらしたりして
      見えるかぎりの風景を眼におさめる。
                            真壁 仁


目次に戻る