番外編・・・・樽 口 峠

おかあさんといっしょ

 樽口峠のプランは、かなり前から暖めていた。たまたま山好きのお客さんから「飯豊連峰がすばらしくきれいに見える峠があるよ。普通の車じゃあきついけど、オフロードバイクや四駆だったら通れるでしょう。」と聞いて以来、ずっと行く機会をうかがっていた。
   ところが仕事が急に忙しくなったり、私自身が結婚したりしてなかなか走る時間が取れず、念願かなってやっと行けたと思ったら、それが計らずも結婚後初めてのランで、しかも奥さま同伴の珍道中になってしまった。

 明日は独りで楽しくツーリングだぜぃ!と、あんまりニコニコして言ったものだから奥さまがすねてしまった。そこで「お前もくるか?」と、つい言ってしまったのがいけなかった。「うん、行く。」と一言。それでも最初のうちは、デポした車のなかで編み物でもしながら待っている、と言うことだったのでまぁいいか、と思っていた。しかしどこでどう話しがおかしくなってしまったのか、「私も一緒に走る。」と言い出した。うわぁしまった、私の頭の中には、事故、転倒、といった奥さまを愛するがゆえに起きる心配と、足手まといになる、独りっ切りの時間がなくなる、といった自分勝手のとんでもない考えが交錯した。
 明日行く峠は上り坂できついぞ。(峠が上り坂であることは当たり前である。)砂利道だし、そんなところは一度も行ったことがないだろう。(当たり前である。若い女の子がそんな所に好き好んで自転車で行くはずがない。)途中事故が起きたり、疲れたから引き返したい、と思ったって山の中だから誰も助けてくれる人なんかいないんだぞ。(夫である自分の立場を忘れた暴言である。)と脅しをかけてみたが「大丈夫、私がんばるから。」との健気な一言で全て片付けられてしまった。
 その後奥さまは楽しそうに鼻唄交じりに明日の弁当を作っている。まぁ何とかなるさ。明日の彼女のがんばりに期待しよう。

 当日は4時半起床の5時半出発。奥さまは途中の車のなかで楽しそうにお菓子など食べている。朝早い出発ということが冒険心を掻き立てているのだろう。。赤芝峡でトイレ休憩した後国道113号線を離れ、県道に入り、下新田の集落にて路上デポした。
 2台の自転車を車から降ろし、組み立て、さあ出発である。奥さまを先に走らせ、私は後からついて行く。道は狭く、上り基調であるがきれいに舗装されてあり、緩やかなアップダウンである。これならば初心者でも気持ちよく走れる。道沿いの足野水、市野沢といった集落もいかにも「山の中」といった感じでとてもいい。充分旅情を掻き立ててくれる。奥さまはと言えば、私の前をはあはあ言いながら、おしりを振り振り力強く走っている。上り坂になるとさすがに少し遅れるが、マウンテンバイクでこれだけ頑張れるとはたいしたものである。たまに先行してカメラを向けてもにっこり笑う余裕さえある。

 そんな奥さまが滝倉の集落で「わぁ、きれい!」の声と共にストップ。何事かと思ってみると、民家の前にバーっと蓮の花がいくつも咲いていた。きれいだ。それにしても、周りの景色も目に入れず、一心不乱に走っていると思っていたが、花の美しさに思わずペダルを止めてしまうところはやはり女の子である。男一人ではこうはいかない。
 なんだかんだで、最後の集落である樽口を過ぎ、路はついに舗装が途切れる。小さな橋を渡り、樽口峠林道起点の標識のところで20分の大休止。この頃になるとさすがに奥さまも疲れてきたようで、カメラを向けても笑うまで間が開くようになった。(それでもまだにっこりするとはいじらしい。)道端に座り込み、肩で息をしている奥さまに地図を見せ、「ほら、もうこんなに走ったんだぜ。あとこれだけだから頑張れ!」と励ます。「ああ、あともうこれだけなんだ。」と、幾分ホッとした様子を見せる奥さま。この「これだけ」が一番きついのだが、ひたすら残りの距離が少ないことだけを強調する。ボトルの水で喉を潤し、さあ出発である。

 「これだけ」の路はいきなりダートの急登であった。たまらず降りて押す奥さま。無理もないか・・。「辛くてもインナーローにしてゆっくり乗って来いよ。その方が結果的には楽だぜ!」と言い残して非情にも(無責任にも)走り去って行く私。まあ、のんびりおいで。

 さて、この樽口峠は小玉川と小国とを結ぶ峠である。この小玉川は今でこそ発電所の建設によって一つの集落として発展しているが、隠れ里でもあるまいに、大昔、この飯豊山系のどんずまりの場所になぜわざわざ道を通したのだろうか。
 小玉川の集落のはずれに「泡の湯」という温泉がある。開湯はかなり古いということだが、海水を暖めたような、と形容しても差支えの無いくらい、かなり塩分を含んでいる珍しい温泉であるという。そう、この湯を使って製塩が行われていたのである。
 この製塩のことが史書に初めて出てくるのは、上杉鷹山が藩政改革の一端として行った寛政年間のことであるが、言い伝えでは、それよりかなり昔らしい。戦国時代の頃の話しである。当時越後から米沢にはいるには、小国の北方の田代峠(現在の沖庭峠−登山道)を越えていた。この峠に出るまでも日本海からはかなりの道程であり、また、峠を越えても小国、米沢に行くまでには数々の難所を通らねばならず、当然塩は貴重品となる。しかもこの時期は、伊達家と上杉家の二大勢力が、飯豊山系を挟んで対立したり、手を結んだりしていた時代。このような不安定な情勢下では、いつ塩の道が断たれるかわからない。伊達家の勢力範囲、しかも越後との接点の小国からやや離れた小玉川で塩が取れれば、補給源として大きな力を持つ。という訳である。塩は人間にとっては生きて行くための必需品。これを確保するためには険阻な山であろうがどんずまりの場所であろうが道を切り開いて行かなくてはならなかった訳だ。この樽口峠路は、さしずめ小国版ソルトロードというところなのである。

 その「塩の道」が、登山道から林道になったのはつい数年前のことだが、今年中には更に舗装されるとのことだ。さっきからたまに工事関係の車が通り過ぎて行く。我々みたいな部外者があれこれいっても仕方がないが、舗装前にこれてよかったな、というのが素直な気持ちである。

 さて、路は最初の急登のあと幾分勾配を緩めながら山をノターッと巻いている。路面は、バラスの多いことが少し気になるが、走れないほどではない。周りの景色も、今は9月なのに真夏を思わせる、むせ返るような緑である。なんとも気持ちがよい。快調にペダルを回しているうちに小ピークについた。此処からは峠の鞍部と、そこまでのジグザグの道が見える。少し下って山を3回巻くと峠のようだ。あと少しである。ザックを降ろし、煙草に火をつけ、奥さまを待つことにする。
 どうせゆっくりと押してくるだろうと思っていたら、数分後に元気に乗って登場!びっくりして、よく乗ってこれたね、の言葉には、「だって工事の人達がいるから押してたらかっこ悪いじゃない。人がいるところだけでも乗って行こうと頑張ったら此処まで何とか乗ってこれちゃった。」との返事。どんなに疲れていても、人目を気にするところはやはり女の子である。「あー疲れた。此処が峠なの?」の問いに、私は黙って峠の鞍部を指さす。奥さましばし沈黙。そのあと「えーっ、まだあんなにあるの!」と、まるでちびまる子ちゃんの顔に縦線がはいった時のような声をだす。あんたねぇ、いくらさっきもうちょっとだと言ったからってそんなに早く楽に着けるはずがないでしょう。とは思うもののここでは決して口には出せない。「遠くに見えるだけだよ。少し休んだら行くぞ!」もう少し休みたい、と言い出すかと思ったら、「よーし、頑張るぞ!」とスックと立ち上がり、「今度は私が先に行くね、いいでしょう。」私がつられてうなづくと、じゃあね!と勢いよく手を振って先へ行ってしまった。元気のいい娘さんだ。自分の奥さまながら感心してしまう。

 煙草の火を消して、少し遅れてから私も出発する。2〜300メートル程下ったあと、路は再び上りに転ずる。一回目の巻きの前に奥さまが頑張っていた。しばらく併走していたが、「お先に。」と先行する。「あーっ、馬鹿ーっ!」の声もあえて無視する。今だけは一人で頑張ってみな。
 この最後の九十九折れは、バラスの量が先ほどと変わらないうえに、勾配は今まで以上にきつくなってきている。また、思った以上に巻きの両端が遠く、距離が非常に長く感じられる。あそこだ!違った・・を繰り返し、吐く息がかなり荒れてきた頃峠についた。

 峠は広場のようになっており、木でできたかなり立派な峠の碑がある。その反対側には舗装工事用の休憩所であろうか、プレハブの小屋がぽつんとあった。期待していた飯豊連峰の雄姿は、残念ながら白く霞んでおぼろげにしか見ることはできなかったが、その雄大さは充分感じることができた。いい峠である。
 しばらくあちこち歩き回って戻ってみると、奥さまが到着していて、私のザックを枕にしてへばっていた。約15分の遅れである。よく頑張ったね。の言葉にまず最初に返ってきた言葉は「私ちゃんと最後だけは乗って上ったよ!」であった。その後「でもここが峠でなかったらきっと降りて押していた。」と言ってフウーッと大きく溜め息をついた後また目をつむった。いや、もし峠がここから2〜3キロ先だったとしてもきっと乗って頑張ったさ。と奥さまのファイトを心のなかで褒める。

 休憩後、弁当を広げる。メニューはすじことたらこのおにぎりと、その他おかず、デザートは梨である。一人のときは、弁当はほとんどスーパーから買っていたのでこのような手作りの弁当はしみじみ美味しいと思う。普段はあんまり食べない奥さまも、「あら、私どうしたのかしら。」と言いながらバクバク食べている。さっきまでの死にそうな顔はどこへやら、実に楽しそうに、あそこはきつかっただの景色が素晴らしいなどとはしゃいでいる。色々迷ったけれど連れてきて良かったな、というのがその時の素直な気持ち。と同時に、峠の上りではどんなに遅くともずっと一緒に走って、少しでも辛さを減らしてやるべきだったな、と反省。もし「次回」があるならば、その時はずっと一緒について行ってやろうと思った。

 おなかも落ち着いてきたので下ることにする。奥さまは、これから下りっぱなしということで先程からずっとにこにこしている。先に行って、と私が言った途端、いきなりすっ飛んで行ってしまった。林道の下りはさすがにマウンテンバイクは早い。路面を選ばずにドカドカと下っていく。上りでおいてきぼりにされた鬱憤を晴らしているかの様である。ついに追いつけないままに小玉川の集落についてしまった。

 のどかである。樽口側の集落が「山」のイメージであるのに対して、小玉川側は田園風景の広がる「里」のイメージである。ほのぼのとした感じがとても良い。小学校では低学年20人位で運動会の応援合戦の練習が行われていた。青い空に子供の元気な声がどこまでも響いている。なぜかこのシチュェーションがたまらなく嬉しくなって、カンジュースを片手に草むらに座り込み、暫く二人で眺めていた。まるで時間がそこだけ止まってしまったような感じさえ受ける。「なんか・・、いいね・・。」と奥さまがポツリと呟いた。印象的な光景であった。

 デポ地までへの戻り道は、下り基調のアップダウンであった。しかしきれいに舗装されてあり、道幅も広い。穏やかな感じの道だ。奥さまの顔も輝いている。乗ったまま大きな声を出して会話する。「どうだ、きつかっただろう。」「ううん。面白かった。また違うところにも行こうね!」もうこりごりとでも言うかと思ったのに・・。やはり似たもの夫婦ということか。

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