晩 夏・・・・・栗子峠

(米沢市〜福島県福島市)


 人の嘆きを横目に三島、それで通庸(通用)なるものか
 「土木の鬼」と異名を取る山形の初代県令三島通庸は、着任と同時に栗子トンネルの建 設に着手した。時は明治9年、まだ県内に戊辰戦争の残り火がくすぶっており、ひとたぴ 事あらばすぐに中央から軍隊を呼べるように、という訳だ。しかしそのやり方は人夫の徴 発や工費の地元負担、土地の強制収用など県民虐待といってもよく、地元からは不平不満 の声が噴出し、これが冒頭の俗謡となった。
 明治13年1月。落磐事故などで多くの犠牲者を出しながらも二つのトンネルを含む新 道が完成、翌14年、明治天皇巡幸の際にこの全18キロの新道は「万世大路」と名付け られた。
 その後約80年の長きにわたって山形の幹道として賑わったが、昭和41年、現在の国 道13号線である栗子ハイウェーの開通により、その役目を終えた。
 分県地図の山形版を見ていると、標高1217メートルの栗子山のすぐ南に、国道13 号線にはば並行して細い実線が引かれている。これが万世大路である。比較的大きな地図 にも載っているのでいかにも通り抜けができそうに思えるが、5万分の1の地形図「関」 を見てみると、米沢、福島の両側から延びてきた実線がやがて破線に変わり、山を越えな いうちに途中でぷっつりと切れている。トンネルは存在しないことになっている。いった い三島通庸ゆかりのこの万世大路は今どうなっているのか、もしトンネルが現在でも存在 するならばぜひこの目で見てみたいと強く思った。

 夏の本当に暑い日だった。まず福島側から入ってみようと、東栗子トンネルと大滝第二 トンネルの中間にある駐車帯に車をデポし、旧道に足を踏み入れたが、いきなりの土砂崩 れ、おまけにヤプも凄まじい。しかたなく引き返して、途中までエスケープルートを使っ ていくことにした。東栗子トンネルのすぐ脇にある駐車帯まで車を移動し、自転車を降ろ してさあ出発である。

 この辺は昔スキー場であり、エスケープルートとはそのスキー場の連絡道路のことであ る。さすがに勾配がきつく、当然未舗装であるために最初から押しになる。鳥や虫の声援 を受けエッチラオッチラ上って行くと、突然目の前にリフトの支柱がニュッと現れてギョッ とする。役目を終えてただ風化していくだけの建造物を見るのはなんとも虚しいものであ る。しばらく進むと左側から路が延びてきて、先程土砂崩れで通れなかった万世大路と合 流する。これからが本番だ!
 さすがに昔は車がびゅんびゅん通っていた路だけあって、幅は広く、勾配は緩やかであ る。しかしいかんせん路面が荒れているため、乗ったり押したりの繰り返しとなる。幾つ かのカーブをクリアして、ニツ小屋トンネルに出る。昭和9年に改修されたトンネルで、 歴史を感じる造りである。
 トンネル内はあちこちに落盤があり、土砂が積もりつもっている。天井の裂け目から水 が滴り落ちており、静寂なトンネルの中にその音だけがピチャーンピチャーンと響いてい る。なんだか気味が悪い。「昭和9年の造りというと55才か。いつ崩れてもおかしくな いな。」などと思いながら、心細い懐中電灯の光だけを頼りに、慎重に積もった土砂の山 をすり抜け、出口まできた。

 ホッと一息したところで、突然凄まじい音が背後から聞こえてきた。やばい!落盤か? 退路を断たれた!と、後ろを振り向くと、なんとその音の正体はオフロードバイクであっ た。辺りの風景にまるで不釣り合いの服を着たそのライダーは、トンネル内にエンジン音 を反響させて、ポカンとしている私の横を、あっという間にすり抜けていってしまった。 あぁよかった、でも、よくもまあこんな道をバイクで登ってこれたものだ。むこうもきっ と「こんな路を自転車で・・・・ご苦労な事だ」と思ったにちがいないけれど。まてよ、バイ クが通るていうことは、栗子トンネルは通り抜けができるかもしれないぞ。俄然ファイト が湧いてきた。先を急ごう。
 少し下って、これまたいつ崩れ落ちるかわからないような橋をわたると、路は再び上り となる。しかし路面はきわめて悪い。路の上の土が流されており、路の底?いや、岩の上 を進んでいる感じなのだ。おまけに昨日の雨で、まるで川のように水が流れている。これ ではまるで、自分は川をさかのばっている鮭のようである。いや、俺は太っているからマ グロか。う−ん、マグロは川をさかのぼ・・らなかったよなぁ。などと半ばやけになってと りとめのないことを考える。蝉がげらげら笑っている。やかましい!よけい暑くなるじゃ ないか。
 道が少しはまともになったな、と思ったら小ピークについた。少し休んでいると、今度 は進行方向から爆音が聞こえる。先程のオフロードバイクが戻ってきたのだ。今度はむこ うから話しかけてきた。「この先は無理みたいですよ。でも自転車で・・すごいですね。」 「ええ、まあ・・。そちらもバイクでここまで来るなんてすごいですね。ところでこの先は どんな風になっているんですか?」「途中からヤブがひどくなって、路がわからなくなっ て引き返してきたんですよ。地図には通れるように載っていたんですけどね。」「じゃあ 私もとりあえずそこまでいってみますよ。」「おきをつけて。」「そちらこそおきをつけ て。」

 やっぱり駄目なのかな。とりあえず下ってみたが、本当にヤブがひどくなってきた。と ても乗ってはいられず、押して進むが、ついに道がわからなくなってしまった。方々偵察 して回ったのだが、これ以上の前進は無理と判断。残念だが引き返すことにした。
 戻る道すがら、「地図の責任」について考えてみた。私は、本屋に出回っている分県地 図ではこの道が通り抜けができるように描いてあることを見ており、5万分の1の地形図 では通り抜けは無理であることを確認している。念を入れて、事前に米沢市役所に文書で 問い合わせてみたところ、「詳細はわからないが、まず無理であろう」との回答をもらっ ている。つまり、私はこの道が今どうなっているのだろうか、といった半ば冒険的な思い で万世大路に入りこんだのであり、行き止まりになっていたとしても(実際なっていたの だが)残念だ、と思う程度で納得して引き返すことができる。もちろん万一のときのため の準備も整えて来た。しかしライダーやドライバー達は地方図、準備のいい人でも分県地 図を用意する程度で、地形図などは用意もしてこないはずだ。オフロードバイクや四駆が もてはやされている今、そういった人達が「面白そうだから」的な考えでこんな道に入り こんだらパニックになってしまうに違いない。昼でさえ転落の危険が大きいのに、まして これが夜だったら・・。地形図にはもう10年以上も前から通り抜けができないように描か れているのに、毎年のように改訂版、最新版が出ている分県地図にこの道がいつまでも出 ているのはいったいどういうことだろうか。地図の社会的重要性を考えた場合、情報不足 だからとかいった言い訳は許されない。明らかな怠慢である。T社の最新版の地図には廃 村になった「大平」の集落まで載っている。ここまできたらもう一種の犯罪だ。少なくて も何年かに一度ぐらいは実地調査をするだけの責任感が欲しいものである。

 次の目、前日の無念を晴らすべく、今度は米沢側から上ってみることにした。国道13 号線を米沢から福島に向けて走ると、左側に「米沢砕石(株)」の看板が見える。ここが入口 だ。近くの駐車帯に車をデポし、自転車を降ろし、峠に行けますようにと柏手2発。さあ 出発だ!
 分岐点には万世大路の記念碑が3つ立っている。そのどれもが栗子ハイウェー開通と同 時に廃道となった旧トンネルから移転してきたものである。親切にも案内板があるので、 興味のある人は見てみるといいだろう。
 旧道にはいると、いきなり大きな鉄柵が通せんぼしている。もうここは米沢砕石の私 有地になっているようだ。ごめんなさいと一礼して突破する。普段は大きなダンプカーや シャベルカーが行き来しているであろうこの場所も、日曜日ともなれば静かでだだっ広く て何だか落ち着かない。荒野を唯一人さまよっているような錯覚に陥る。ようやく採石場 の中を通りすぎ、ホッと一服つける。
 私有地になっているということは、ハイカーでさえも本当は通ってはいけないのかもし れない。となると、路の状態によっては果たして峠に行けるかどうかますます不安になっ たが、希望を捨てずに前進する。路の勾配は緩く、福島側ほどは荒れてはいない。しかし 「福島側程荒れてはいない」といっても福島側がひどすぎるので、やはり米沢側もかなり 荒れていることには変わりはない。のんびりと押すことにする。鳥の鳴き声が、「またか、 またか」と聞こえる。ほっといてくれ。

 途中、ヤプがひどくなったり、急に道幅が広くなったりを繰り返しながら道は延々と続 いている。私は唯黙々と自転車を押していた。うだるように暑かったこと以外、途中の記 憶は余りない。周りの景色も覚えていない。峠を目指す一念だけが頑の中を占領していた のだろう。急にヤプがひどくなってきたな、と思ったら、トンネルの岩盤らしきものが目 に飛びこんできた。
 私はそれを確認するために自転車をかついで岩盤まで走った。疲れ切っていたのによく もこんな力が残っていたものである。間違いない、トンネルだ!入口まで進んでプレート を仰ぎ見る。そこには「栗子隧道」と右から左に書かれていた。
 感無量だった。思わずその場に座り込んでしまった。汗びっしよりでオーバーヒート気 味の身体に風がとても気持ちいい。疲れて耳障りだった鳥や蝉の鳴き声が優しく感じられ て心地好い。ついにここまで来たな。この目で見ることができたな。しばらくはこのこと 以外考えることができなかった。
 大分落ち着いてきたのでトンネルの内部を見てみることにする。不気味の一言である。 薄暗い中で土砂が積もり積もっており、天井からはコンクリートの固まりみたいなものが ぶら下がっている。一歩中に踏み込んだだけでヒンヤリとした空気が体中を包み、私の侵 入を押し戻そうとする何かを感じた。
 この道が開通したのが明治13年。開通式には、当時、福島県令となった三島通庸はあ の福島事件のさなか人力車で駆けつけ、こう詠んだそうである。

 山を抜き谷を埋めて幾千代も通う車の道となりけり

よはど嬉しかったのであろう。
 日本の近代史を紐解いてみると、三島通庸は「福島事件」の印象が余りにも強いため、 「大悪人」と論じられている例が多い。人民の心を無視した弾圧に次ぐ弾圧。確かにその 通りだ。しかし今回の万世大路や関山峠の建設に関するかぎりでは、彼のとった東北経済 の立て直しのための政策は間違っていなかった。現に今では栗子道路や関山街道は、当時 のルートとは少しずれてはいるが、山形県の大動脈となっている。かなり荒っぼい方法だっ たが、三島がこの時やらなかったら山形は今以上に遅れた県になっていたに違いない。未 来の経済の発展を取るか、今現在の人々の安楽を取るか・・歴史はいつも我々に難しい選択 を迫る。難しすぎて先送りすることのできない選択を・・。
 人民の心を掌握できてこそ初めてすぐれた為政者といえる。という大原則がある以上、 山形県令としての三島通庸の歴史上の評価は今のまま変わることはないだろう。歴史の証 人であるこのトンネルも、そしてこの路も、人々の通行を拒み続けたまま崩れ落ち、草に 埋もれていってしまうだろう。自分は今、歴史と対峙しているのだ。

 蝉の声がやけにかん高い。さっきひっこんだはずの汗がまた噴き出てきた。今の思いを 胸に今日はもう帰ることにしよう。
 戻ってから近くの酒屋で奮発して大吟醸を買いこみ、寮で一人で祝杯をあげた。その旨 さは格別だったが、色々と考えさせられることが多かった今回のランであった。

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