妻 坂 峠

埼玉県横瀬町−名栗村
2000.2.13

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 国道299号線を、横瀬から秩父に向かって走る。芦ヶ久保駅を過ぎ、根古屋橋を過ぎて直ぐの信号を左折する。と、目の前に奇妙な姿になった武甲山が現れた。以前は秩父の盟主と謳われたその山も、100年近くに渡って行われている石灰岩の採掘によって次々と切り崩され、今や見るに忍びない。
 採掘された石灰石はセメントとなり、都市部のビルに化ける。「都合」という字は「都に合わせる」と書く。都会に合わせた結果、ふるさとの山がこうなった。とどこかの本に書いてあった。うまい言い方だ。しかし秩父の人は辛いだろうな。これで生活している人が多いといっても、毎日武甲山を見ているわけだから。
 R299を左折して直ぐは、しばらく武甲山を正面に見て走ることになる。とても顔を上げて走ることはできなかった....。
 セメント工場が林立する埃っぽい舗装路をやっと抜けると地道になり、勾配はかなりきつくなる。見事な渓谷を右に見ながらのんびりと押していく。今までの道が良くなかっただけに生き返った気分だ。
 その後道は再び立派な広い舗装路となり、乗車して進む。といっても最近は足の筋肉が衰えているので、二つ目の峠となるとインナー・ローでもちときつい。
 写真は生川別荘地を過ぎたところにある大山ノ神の祠。ここまで来れば林道終点は近い。
 程なく武甲山方面に向かう道との分岐点である二の鳥居に到着。ハイカーのものらしき車が多数停まっていた。分岐点を左に折れ、妻坂沢に沿って峠を目指す。最初は林道のように広い道が続くが、直ぐに写真のように岩がごろごろする道になる。勾配はかなりきつい。
 沢を詰めた先にある水場。ここで大休止。冷たい水で手と顔を洗い、ガブガブ飲む。あーっ、気持ちがいい(^^)。ついでにボトルの水も入れ替える。ここから先は水場がないので、要注意。
 水場を過ぎると道は沢を離れ、若干勾配を緩めながら大きく山肌を巻くようになる。沢筋に比べて道の状態は遙かにいい。雰囲気も良く、ホッと一息。
 日陰ではまだ雪が残っている。新雪ならまだしも凍ってガチガチになっている。勾配のきつい細い山道なので細心の注意が必要だ。
 道路陥没。土砂崩れで道が持って行かれてしまった。ここは数メートル下まで下り、陥没箇所を渡って再びよじ登る。こういうとき、自転車持参はかなりのハンディになってしまう。先行していた登山者もかなり苦労していた。
 それにしてもこういう状況にすっかり慣れてしまっている自分って、一体何なんだろう。(^^;
 陥没現場をクリアすれば峠は近い。陽の光を浴びながら道形の薄くなった、きつい九十九折れの道をよろよろと登っていく。上の方からいろいろな人の声が聞こえる。もう一踏ん張り!
 峠に到着。早速峠の看板の前で記念撮影。峠から名栗側の展望はないが、北側の展望はよくきく。武甲山の姿が痛々しいが、横瀬の街が箱庭のように見える。
 妻坂峠の地名の由来は、畠山重忠が鎌倉に出仕するとき、その妻がいつもこの峠まで見送ってくれたから、だそうだ。また、1572年にはあの上杉謙信もこの峠を越えている。その当時は「妻坂」ではなくて「都麻坂」と表記していたらしい。
 峠のお地蔵様。とても優しいお顔だ。出発前に読んだ本では、風雨による浸食を避けるために小屋が設けられた、と聞いていたのだが、何故かその小屋はなかった。延享四年(1747年)のお生まれということで、253歳。数え切れないほど多くの旅人たちを見て、護ってきたんでしょうね。周りに誰もいなくなってから、しばらくお地蔵様と話し込んでしまった。
 大持山側に少し移動して峠の全景を写す。写真右側が名栗に向かう道で、写真左が横瀬に向かう道。上は武川岳に向かう尾根道。峠の看板は横瀬町側にあり、お地蔵様は中央よりやや名栗側に鎮座している。写真で見てわかるとおり、広めで緩やかな鞍部に峠は位置している。
 名栗側への下り道は相変わらず勾配はきついものの道の状態は良い。終始暗い杉林の中を下るが、途中一カ所だけ展望が開ける場所がある。写真の石壁にこの峠の長い歴史を感じた。
 この後簡易橋を渡って山中林道に合流し、自転車をかっ飛ばしてデポ地の名郷に戻った。

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