葉 原 峠

埼玉県長瀞町−寄居町
2001.2.4

  長瀞町付近の地図を見ていたら面白いことに気が付いた。秩父山地の稜線の上に長瀞町と寄居町の境界線が引かれているのだが、その両側とも大字の名前が「風布」なのだ。少し調べてみるとその理由はすぐわかった。
  昭和初期まで秩父郡白鳥村という村があり、「岩田」「金尾」「井戸」「風布」「下田野」の五つの大字からなっていた。秩父事件の中心地としても有名なところだ。そして昭和18年の町村合併時に白鳥村は消滅、土地はそれぞれ寄居町と長瀞町に分割編入された。しかし村内の秩父山地をまるまる飲み込んだ「風布」だけはどちらか一方に編入することができず、稜線を境に真っ二つにされてしまったのだそうだ。
  白鳥村大字風布は中央に山地を持ち、その東西に開けた秩父ではちょっと珍しいところである。山地には南から「塞神」「仙元」「葉原」の三つの峠があり、それぞれ通学、役場通い、買い出し等土地の人々に密着し、生活していく上で大きな役割を果たしていた。時代は流れ、今、それぞれの峠路は林道化されてしまっているらしい。風布の人達にとって見れば交通の便が格段に良くなり、素晴らしいことだ。長年人々に愛され、秩父事件でも脚光を浴びたこの三つの峠、今はどんな顔をしているのか見に行きたくなった。

周 辺 図 へ


 再び荒川右岸の道に戻る。今度は北上し、「岩根神社入口」の標識に従って右折する。写真は右折してすぐの下郷の集落あたり。結構雰囲気はいい。
 中程度の勾配が続く。本日3つ目の峠なのであごが出てしまい、インナー・ローでよたよた上る。途中、長瀞の街が眼下に広がったことを口実に大休止。
 葉原の集落に到着。といっても神社を管理している数戸の人達しか住んでいないようだ。道路を挟んで反対側には岩根神社がある。つつじが有名で、春先は多くの人達で賑わうという。
 岩根神社を過ぎるといきなり雪が現れた。塞神峠や仙元峠の雪と違い、膝下まで積雪がある。かなり辛そうだったが四駆が通った形跡があり、その轍に沿って進んでみることにした。スパッツをはいて出陣。しかし数キロ進んだところで倒木があり、四駆の轍はここでストップ、ここから先は何の跡も付いていない無垢の白く長い絨毯が続いている。かんじき未携帯を後悔しつつ、前進する。
 写真の雪だるまは最初の倒木を越えた少し先にあったもの。多分四駆に乗っていた人達が作ったものだろう。どんな状況に陥っても平静さを失わず、遊び心を忘れないことは大事だ。それにこういう感覚、好きだなぁ。
 あれからどれだけ歩いただろう。いい加減嫌気がさしてきた。自転車を雪に突き刺し、ガードレールに腰掛けて、あたりの雪をかき集めてコーヒーを沸かす。湯が沸くまでの間、大きく伸びをして深呼吸を一つ。ああ、いい気分だ。非常食のあんパンを食べながらコーヒーを飲んでいたら大分落ち着いてきた。よし、もう少しだ(多分)、前進しよう!
 それからまたしばらく歩き、ようやく峠に到着。峠は山の鞍部を90度の角度で乗越していた。この辺になってくると所々膝上まで雪がある。登山靴とスパッツのおかげで足は冷たくないが、塞神、仙元、葉原と雪中行軍が3つも続いたので、疲労は頂点に達していた。おまけにずっと変な歩き方をしていたので、腿の付け根が痛くなっていた。当たり前のことだが人っ子一人おらず、静かな峠行が楽しめたと強がって言っておこう。
 峠のカーブの外側に峠の石碑があった。その前に自転車を突き刺し、トップチューブに両肘と頭をつけて大休止。残念ながら葉原の歴史を感じる余裕はなかった。
 その峠の石碑。道標と二つ、並んで置いてあった。
 寄居町側の下り道。やはり何の足跡も付いていないきれいな白い絨毯が厚く敷かれている。ここを下って金尾周りで長瀞に戻るつもりだったが、来た路をそのまま引き返すことにした。

目次に戻る