札 立 峠

埼玉県吉田町−皆野町
2000.3.25

  急な転勤が決まり、住居も八王子から横浜に移ることになりました。移動距離は大したことはないのですが、毎週のように秩父に通うのは事実上不可能になりました。こういった事態を想定して「一区切りの峠」として暖めていたのがこの札立峠です。ここは秩父札所34ヶ所の結願寺である水潜寺に向かう表参道。別に秩父で札所巡りをしていたわけではありませんが、区切りの峠としては適当であると思いました。また秩父を走れるのはいつ頃になるのでしょうか。

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 県道37号線を西に走る。皆野町から吉田町に変わる直前、「水抜」のバス停から右に折れ、峠路を上る。写真は峠の南側、最後の集落である頼母沢を見下ろしたところ。広い土地にぽつんぽつんと民家が点在している。その一つ一つの家々は、どれも歴史を感じる作りだ。
 最後の民家を過ぎると道はぎゅっと狭まり、アスファルトからコンクリ舗装に変わり、勾配もきつくなる。ギアをいっぱいに落として踏ん張っていると、「札所34番 水潜寺」と書かれた分岐点があり、矢印に沿って右側の山道に分け入っていく。道幅は狭いが山肌を巻き込んでいく感じで、とても明るく、感じのいい路だ。崖に腰を下ろして小休止。もう大分暖かくなってきたな。
 思いも掛けず山中に突如現れた梅林。ここまでの道が結構きつかったので、思わずホゥと足を止めて見とれてしまった。
 梅林から少しの頑張りで尾根に取り付く。小さな鞍部を乗り越したあとは、しばらくフラットな路が続く。自転車にまたがり、のんびりとペダルを回して進む。静かだ、全く人の姿が見えない。
 再び勾配がきつくなり、自転車から降りて担いで登る。竹林の中の九十九折れをぜいぜいと登っていると、峠直下に朽ちた民家があった。ここには昭和51年まで人が生活していたそうだ。最近そのお孫さん達がここで茶屋を開いたと或る本に書いてあったが、どうやらそれもやめてしまったらしい。この峠を通る巡礼者も殆ど無く、たまに通る登山者相手の商売では割があわないもんな。
 茶屋跡から僅かで峠に到着。破風山と大前山の浅い鞍部を急カーブで乗っ越していくタイプだ。峠には真新しい観音様が南方向を見て鎮座していた。立派な峠の碑をバックに記念写真を撮った後、観音様にこの二年間の秩父の峠行の無事を感謝。地べたに座り、誰も見ていないのをいいことにしばらく話し込んでしまった。
 峠全景。写真右下角から登ってきて、左中に下っていく。写真下は大前山に、写真上は破風山に行く尾根道。自転車は上の写真と同じ位置。峠の看板の脇に峠名が書かれた案内板が立っていた。
 ・・・・(前略)・・・・札立峠の名は、昔、大干魃の時、旅の僧の「雨を祈らば観音を信ぜよ」との教えにより、「(ジュ)甘露法雨」の札を立てたところから名づけられたと言われています。
環境庁・埼玉県
 二年間通った秩父の峠達に思いを巡らせた後、観音様に軽く会釈をした後峠を下る。北側の下り道は南側と違い、勾配もきつく、路面も荒れている。涸れ沢の中を下っているような感じだ。下りなのに汗が噴き出る。昔、秩父札所巡りをする人達は皆この峠を通ったそうだが、道路状況もよくなり、団体バスでの巡礼者が殆どになったせいだろう。歴史はあるが、誰も見向きもしなくなった廃道寸前の荒れた峠路をわざわざ自転車を担いで越えていく....。秩父の峠の最後は「自分らしい」峠に当たったな、と一人ほくそ笑んでしまった。
 悪路に手を焼きながら下っていくと、突如前方右側に巨大な建造物が見えてきた。これが秩父札所34ヶ所巡りの結願寺である水潜寺だ。本堂前まで自転車を担ぎ上げ、二年間の秩父の峠行を報告、感謝、そして新しい土地での峠行の安全を祈願した。バスでやってきた大勢の巡礼者達と参道で擦れ違い、水潜寺を後にして、のんびりとした空気の流れる日野沢集落をデポ地に向かって走った。

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