三 国 峠

新潟県湯沢町−群馬県新治村
2000.1.15

 2000年の走り初めの峠は、かなり前からこの三国峠と決めていました。無雪期で隧道から30分前後のハイキングコースとはいえ、厳冬期の上越国境の峠はかなり厳しい雪との戦いでした。

 私が敬愛する作家は司馬遼太郎、尊敬する人物は河井継之助、そして司馬遼太郎が河井継之助を描いた作品が「峠」であることは「峠行の記録」の「八十里こしぬけ武士の越す峠」でお話ししました。この「峠」で最後に登場する峠、つまり継之助の生涯最後に越えた峠は八十里越ですが、「峠」の中で最初に越えた峠がこの三国峠なのです。

 時は安政5年。ペリー、ハリスの来航、日米和親条約調印、井伊直弼大老就任、そして跳梁跋扈する尊王攘夷論者.....。太平の世が終わり、幕末の動乱期に突入しようという時です。継之助はこの時代の変化を敏感に感じ、「藩は今後どうあるべきか、日本の明日はどうなるか、武士はいかに生くべきか。」を藩の外で考えようと遊学願いを出します。ようやく許可が下りたのが12月27日。翌28日に江戸に向けて出立しました。

 旧暦でいう年末は、新暦ではちょうど今頃になります。雪と格闘しながらの峠越えはどんなものであったのか。辿り着いた三国峠で、継之助はどんな景色を見たのか....。
 実は作品の中では継之助は三国峠を越えていますが、史実では碓氷峠を越えています。司馬遼太郎がこのことを知らなかったとは考えがたく、承知の上で三国峠越えを作品の冒頭に持ってきたのだと思います。なぜ碓氷峠ではなくて三国峠でなければならなかったのか。司馬は三国峠で継之助になにを見せたかったのか。
 これが走り初めにこの峠を選んだ理由です。

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 三国トンネル新潟側入口の駐車スペースに車をデポ。本来ならばせめて浅貝から走り始めるべきなのだが、峠路の雪の状況が読めなかったのでこうなった。工事の人達の視線を気にしながら自転車を組み上げ、出発。
 写真は三国トンネル新潟側。造りは結構古く、今となってはかなり狭く感じてしまうが、日本の大動脈だ。
 トンネル脇の登山道入口。まずはこの階段を駆け上っていく。空身で上り、少し歩き回って積雪の状態をチェック。ツボ足ではところどころ膝上まで雪に没するところがあるが、最近の低温で雪が固まり、表面を歩いていける部分も多い。よし、これなら何とか行けそうだ!と、最終的に三国峠行を決断。入口に戻りスパッツを付け、かんじきを履いて再スタート!
 登山道の入口にあった馬頭観音。文久3年(1863年)の造立。峠に行けますようにと手を合わせる。司馬作品の「峠」で継之助が三国峠を越えてから5年後に作られた物だ。
 ところで継之助はその生涯で長岡−江戸間を3往復している。嘉永5年(1852年)の最初の遊学時は三国峠、碓氷峠を。安政5年−万延元年(1858-1860年)の二度目の遊学時は碓氷峠、三国峠を。そして慶応3年−明治元年(1867-1868年)には三国峠、海路を通っている。とするとこの観音様、その目で一度、継之助を見ているはずだ。いったいどんな風に映っていたのだろうか。
 峠路序盤の様子。先行者の足跡に沿って歩く。かんじきを履いているおかげで、足首ぐらいまでしか雪に潜らない。静寂の世界。自分の息づかいとギュッギュッ、と雪を踏む音以外なにも聞こえない。
 「三国権現御神水」。トンネルから峠までのだいたい中間点にあたる。雪深い峠路の中、なぜかここだけ雪が積もっていなかった。峠の神様の力なのだろうか。ともあれずっと雪の中を歩いてきたので格好の休息場となった。岩の上の雪を払い、その上に腰を下ろして小休止。少し落ち着いたところで、手で御神水をすくって飲んでみる。うまい! 火照った身体全体に染み渡っていくようだ。
 御神水の力を得て再び峠に向かって歩き始める。先ほどの御神水までは先行者の足跡があり、それに沿って歩いてきたのだが、先行者はそこで引き返してしまったらしく、この先、人の足跡はない。正体不明の小動物らしき足跡を右に左に目で追いながら進む。かんじきを履いていても、膝下まで雪に没するようになった。うーむ、もっと減量しなくちゃ。
 ついに進行方向に全く足跡がなくなった。ここから先は私自身が道形をつけていくことになる。大学時代の雪中行軍を思い出し、メラメラと闘志が湧いてくる。そうそう、こんなところで天を仰いでいちゃいけないんだよ。
 本格的に雪が降ってきた。しかし不思議と焦る気持ちは起きない。雪庇にだけは注意しながらゆっくり進む。樹氷を楽しみながらのんびりいくさ。どんな難路でもピークに届かない峠はないのだから。
 雪が固まっていて、ちょっと一息つける場所でふと振り向くと、自分の足跡と相棒の轍だけが白いキャンバスに刻まれていた。
 峠直下。雪が変則的に降り積もり、峠路はまるで雪の波のようになっている。その波を一つ一つ乗り越えていく。股下まで雪に没するところがあり、一歩踏み出すにも大変なエネルギーが必要だ。まるで雪の中を泳いでいるような錯覚さえしてしまう。しかし、顔を上げれば稜線がかなり近くに見えるようになってきた。頑張れ! あと少しだ。
 前方を遮る樹林が消え、周りの明るさが増した頃、峠に到着。まず雪の中にうつぶせに倒れ込み、身体の火照りを強制消去。これは雪のある峠に行ったときの儀式(^^)。そして道標に自転車を立てかけ、数歩下がって記念写真。トンネルからの所要時間は1時間。無雪期の倍かかってしまったけど....、やったね。
 峠の北側に鎮座する三阪三社大明神。三国権現ともいう。越後の弥彦社、上野の赤城社、信濃の諏訪社、以上三国の各一の宮が祀られている。荒天の際の避難所でもある。あいにく冬季閉鎖中でバリケードがしてあり、中の様子を見ることはできなかった。鳥居に自転車を立てかけ、外から道中の無事を峠の神に感謝し、下山の無事を祈る。後方に聳えている山は三国山。継之助は生涯で少なくても三度、ここに来ているはずだ。ここでどんなことを祈ったのだろうか。
 峠から新潟側の展望は、木々に阻まれてあまりきかないが、群馬側の景色はよく見える。一見して積雪量の違いがはっきりとわかる。そしてどんよりとした空の新潟側に比べ、開放的な群馬側....。
 司馬作品の「峠」の冒頭、「雪が来る。」と「北国は損だ。」の二つの言葉が出てくる。この二つの言葉は表現を変えながらこの物語の中で何度も登場する。司馬は冬の峠路の厳しさ、そしてこの両側の景色の対比を継之助に見せたかったのではないだろうか。そして....。
 今回冬の相棒として約8年ぶりに活躍してもらった「スーパーカンジキDX」。長いブランクを感じさせない見事な働きぶりだった。(^^)

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